昔バカにしていたプロレスラーのブリッジに、45歳で返り討ちに遭った、という話

サラリーマンの独り言

mutoです。

最近、子供が保育園で覚えてきた技をよく披露してくれます。

でんぐり返りや壁倒立など、本人にとっては大発見なのでしょう。

得意げな顔で見せてくれる姿は実に微笑ましく、親としてもつい相手をしたくなります。

もちろん、そんな流れになれば父親として負けてはいられません。

「お父さんもできるよ」

そう言いながら同じことをやってみせると、子供たちは目を輝かせてくれます。

その反応を見るたびに少しだけ鼻が高くなるのですが、

父親という生き物は案外単純なもので、こうした些細なことで気分が良くなってしまうのです。

ところが先日、その平和な時間に思わぬ落とし穴が待っていました。

息子が「じゃあ、これは?」と言いながら披露したのはブリッジでした。

正直なところ、私は何の疑いも持ちませんでした。

ブリッジなど小学生の頃には誰でも普通にやっていた運動ですし、

最後にやったのが中学生だったとしても、身体くらいは覚えているだろうと思っていたからです。

自信満々で床に寝転がり、「ほらね」と言わんばかりに身体を反らせました。

しかし結果は惨憺たるものでした・・・。

惜しいとか、あと少しだったとか、そういう話ではありません。

どう見てもブリッジに挑戦している人間ではなく、

床の上で意味不明な動きをしている中年男性が一人いるだけで、

父親としての威厳も何もあったものではありませんでした。

昔の私はブリッジを舐めていた

思い返してみると、私は昔からブリッジという運動を少々舐めていました。

子供の頃、プロレスラーがトレーニングの一環としてブリッジをしている映像を

テレビでよく見ていたのですが、

当時の私はそれを見ながら「アレ、自慢することか?」と本気で思っていたのです。

もちろん、お腹の上に人を乗せたり、首だけで身体を支えたりするような高度なブリッジは別です。

そんなものは当時の私にもできませんでした。

しかし普通のブリッジであれば話は別でした。

私の中では、ブリッジは特別な技でも何でもなく、

体育の授業でやる準備運動の延長線上くらいの認識だったのです。

今思えば恐ろしく傲慢な話ですが、小学生の私は本気でそう考えていました。

だからこそ今回の敗北は効きました。

あれほど簡単だと思っていた運動に、自分がまるで歯が立たなかったのですから。

もし小学生時代の私が今の姿を見たら、「え?何やってるの?」と真顔で聞いてくるでしょう。

そして残念ながら、その問いに反論する材料を私は持ち合わせていません。

自分ではまだまだ若いつもりだった

今回の出来事で驚いたのは、ブリッジができなかったこと以上に、

自分がそこまで衰えているとは思っていなかったことです。

こんな私ですが趣味はランニングです。

天気が良ければ土日に15kmずつ走りますし、自宅ではたまに腕立て伏せや腹筋もやります。

最近は頻度が落ちたものの、少し前までは懸垂も7〜8回はできていました。

体重も入社以来ほとんど変わっていませんし、服のサイズも同じです。

多少のお世辞が含まれていることは理解していますが(笑)、

「年齢より若く見える」と言われることも多く、正直少し良い気になっていた部分もありました。

運動能力とは全く関係ありませんが、髪の毛だってまだ一応あります(笑)。

少なくとも自分の中では、身体はそれなりに維持できているという認識でした。

身体の方はとっくに現実を理解していた

今はなくなりましたが、少し前まで職場では始業前にストレッチの時間がありました。

私は昔から前屈が苦手でしたが、身体を後ろに反らす動きだけは不思議と苦になりませんでした。

胸を開いて上を向くようなストレッチでは特に窮屈さも感じませんし、

自分では柔軟性が極端に落ちているという感覚もありませんでした。

そのため、まさかブリッジができなくなっているなど夢にも思っていなかったのです。

ところが実際にやってみると、肩の可動域は想像以上に狭くなっていましたし、

何より衝撃だったのが背骨の柔軟性でした。

身体を反らそうとしても思うように反らず、

私の記憶の中にある「ブリッジをしている自分」と現実の身体との間には、

思っていた以上の隔たりがあったのです。

私は走っていますし、筋トレもしています。

しかしランニングで背骨を大きく反らせることはありませんし、

腕立て伏せを続けていても肩関節を限界まで開くことはありません。

ブリッジに必要な動きは、振り返ってみれば何十年も使っていなかったのです。

それなのに私は、昔できたことだから今もできるだろうと勝手に思い込んでいました。

できると思っていたのは私だけで、身体の方はとっくに現実を理解していたのでしょう。

人は見たいものを見てしまう

今回できなかったのは、たかがブリッジです。

日常生活に支障が出るわけではありません。

それでも妙にショックだったのは、自分の中では今でもできると思っていたからなのでしょう。

私はランニングを続けていますし、体重も変わっていません。

年齢より若く見えると言われることもあります。

もちろん、それらは事実です。

ただ、その事実だけを見て安心していたのもまた事実でした。

肩の可動域が狭くなっていたことも、背骨の柔軟性が失われていたことも、

自分に都合の良い現実ばかりを見ていたから気付かなかったのです。

人は見たいものを見ます。

そして見たくないものからは目を逸らします。

老化もきっと同じなのでしょう。

私はどこかで「自分に限ってそんなことはない」と思っていましたが、

床の上で無様に崩れ落ちたあの日、そんな都合の良い思い込みをまとめて否定されてしまいました。

今回の教訓です。

・若く見える、はあくまで若く見えるだけで若くはない。

・子供と張り合っていると痛い目に遭う。

・プロレスラーはやっぱりすごい。

 (ブリッジを舐めていたレスラーの皆さん、本当にすみませんでした。)

今日のところは、以上!

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