名前を叫んで、握手して、頭を下げて。それで政治家になれる国、日本。という話

サラリーマンの独り言

mutoです。

選挙の季節になると、毎度毎度うんざりすることがあります。

選挙カーです。

「〇〇でございます!」

「〇〇をよろしくお願いいたします!」

「ありがとうございます!ありがとうございます!」

朝から晩まで候補者の名前を連呼。

最近ではインターネット広告まで頻繁に流れてきます。

正直、うるさい。

それに、あの心のこもっていない「ありがとうございます」は何なのでしょうか。

別に応援していませんけど。

求めてもいない握手もそうです。

考えてみてください。

普通に歩いていて、いきなりたすきをかけた大人に唐突に声を掛けられ、

しかも握手を求められる。

はっきり言います。「恐怖」以外の何物でもありません。

候補者にとっては有権者との触れ合いなのかもしれませんが、こちらからすれば、ただの押し売りです。

こんなことを続けていて、よくもまあ「政治への関心を高めよう」「投票率を上げよう」などと言えるものだと思います。

今回は、そんな話です。

名前を連呼して、何が分かるのか

あまりにうるさいので、こんな選挙活動をしているのは日本だけだと信じたくなります。

残念ながら、韓国や台湾でも拡声器を使った選挙運動が行われています。

一方、欧米の主要民主主義国では、日本のように住宅街を巡回して候補者名を連呼する活動は一般的ではありません。

そもそも、名前を連呼することに何の意味があるのでしょうか。

人間には、繰り返し接するものに親近感を抱きやすくなる「単純接触効果」という心理的傾向があります。

選挙カーにも、一定の効果はあるのかもしれません。

しかし、私はここに大きな問題があると思うのです。

候補者の政策は知らない。実績も知らない。人物もよく分からない。

でも、名前だけは聞いたことがある。

だから投票用紙にその名前を書く。

仮にそんな投票行動が生まれているのであれば、これは相当に危ういことだと思います。

もちろん、実際にどの程度そうした投票が行われているのかは分かりません。

ただ、投票率さえ上がれば、それでよいのでしょうか。

大切なのは、投票した人数だけではなく、有権者が何を根拠に投票したかでしょう。

名前を覚えさせることより、候補者の考えを理解できる環境を整えること。

そちらの方が、よほど重要だと思います。

選挙管理委員会が、一発勝負の演説の場を用意すればよい

そこで、一つ提案があります。

選挙運動の仕組みそのものを変えてしまえばよいのです。

選挙管理委員会が、全候補者に同じ条件で演説の場を提供する。

例えば、一人15分。

候補者は、そこで一発勝負の演説を行う。

演説はすべて録画してインターネットで公開。有権者は好きな時間に視聴し、比較する。

選挙カーは廃止。

有料の選挙広告も原則禁止。

候補者の経歴や政策は、選挙管理委員会が統一した形式で公開すればよいでしょう。

これなら、資金力や組織力による差を小さくできます。

候補者ごとに選挙カーを用意し、人員を配置して住宅街を走り回る必要もありません。

選挙費用を削減できる可能性もあります。

何より、静かです。

もちろん、実現には公職選挙法の改正や政治活動の自由との調整が必要でしょう。

しかし、少なくとも現在の選挙運動より合理的な制度になる余地は十分にあると思います。

演説が苦手な人間には不利? それで何が悪いのか

こうした制度には、おそらく反論もあるでしょう。

「演説が上手な人間ばかり有利になる」

「演説は苦手でも、政策立案能力に優れた人間はいる」

確かにそうかもしれません。

しかし、私はこう思うのです。

それなら、官僚や政策スタッフとして能力を発揮すればよいのではないでしょうか。

政治家にならなくても、政治の世界に携わる方法はいくらでもあります。

政治家は、自分の考えを国民に説明し、理解と支持を得る仕事でもあります。

しかも、演説はある程度テクニックの問題です。

話の構成、論理展開、発声、間の取り方。

訓練によって改善できる部分も多いでしょう。

もちろん、持って生まれた資質の違いはあります。

しかし、だからといって、選ぶ側がそこまで配慮しなければならないのでしょうか。

例えば、野球選手を考えてみてください。

どれほど野球が好きでも。どれほど熱意があっても。どれほど毎日練習していても。

野球が下手なら、プロ野球選手にはなれません。

当たり前の話です。

これをアンフェアだと言う人は、まずいないでしょう。

政治家だって同じです。

演説が苦手な人間の立候補を禁止するわけではありません。

全員に同じ条件で演説の機会を与えるのです。

そこで自分の主張を十分に伝えられなかったとしても、それは本人の能力や準備の問題でしょう。

そもそも政治とは、すべての意見や要求を満たせる世界ではありません。

限られた予算や資源の中で優先順位をつけ、時には反対意見が残っていても決断する仕事です。

その政治家を目指す人間の適性についてまで、選ぶ側に過度な配慮を求める。

私は、その発想自体が政治という仕事にそぐわないと思います。

立候補する権利は誰にでもある。しかし、当選するために必要な能力まで、選ぶ側が配慮する必要はないでしょう。

最後に

もちろん、演説が上手ければ、それだけで優秀な政治家というわけではありません。

現職議員なら過去の実績も重要ですし、候補者の経歴や発言も評価すべきでしょう。

ただ、少なくとも名前の連呼や握手よりは、演説の方が政治家としての適性を判断する材料になると思います。

選挙で競うべきは、名前を何回叫んだかではなく、何を語ったかでしょう。

そんな当たり前のことを、そろそろ制度として実現してもらいたいものです。

今日のところは、以上!

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