今振り返ると、昭和後期、平成初期のお正月はデンジャラスだった、という話

mutoです。

30年ほど前の日本。
昔のお正月と聞くと、「のんびり」「家族団らん」「牧歌的」といった言葉が浮かびます。

ですが、冷静に振り返ると違います。
あれは行事ではなく、生活そのものがデンジャラスでした。

同じ30年前の夏がそうだったように、
冬もまた、普通に危険と隣り合わせだったのです。

正月の居間は「火」を飼っていた

まず、暖房。

今のようにエアコンで室温管理などという文明はありません。
主役は石油ストーブ

しかもこれは、単なる暖房器具ではありませんでした。

  • 餅を焼く
  • やかんをかけてお湯を沸かす
  • 鍋を温める

完全に調理器具兼暖房

そのすぐ横で、

  • 布団を敷く
  • 洗濯物を干す
  • 子どもが走り回る

火事、やけど、一酸化炭素中毒。
今なら即座に注意喚起される状況ですが、
当時はこれが「普通の正月の居間」でした。

冬になると
「石油ストーブが原因とみられる火災」
「就寝中の一酸化炭素中毒」
といったニュースは決して珍しくなかった。

それでも誰も本気で怖がらなかった。
危険が日常に溶け込みすぎて、感覚が麻痺していたのです。

ジャンパー+半ズボンという謎装備

そして子ども。

当時の小学生男子の冬の正装は、

  • 上:ジャンパー
  • 下:半ズボン

※短パンではありません。半ズボンです。

上半身は「寒い」という現実を理解している。
下半身は「気合でいける」という精神論。

寒いんか、そうじゃないんか、どっちやねん!(笑)

今なら即止められる装備ですが、
当時はこれがデフォルト設定

先生も親も疑問に思わない。
むしろ、

「元気でよろしい」

という、謎の高評価すら与えられる世界でした。

寒いという事実と、服装という感情が結びついていなかった説

今になって思うのです。

「寒い」という事実と、「何を着るか」という判断が、うまく結びついていなかったのではないか、と。

当時の自分に聞いてみたい。

本当に寒くなかったのか?
それとも、寒いと感じてはいけない空気があったのか?

おそらく後者でしょう。

寒さは我慢するもの。
文句を言うのは軟弱。
そうした無言の同調圧力が、子ども社会にも確実に存在していました。

半ズボンを推奨していた先生は、何を考えていたのか

そして、もう一人問い詰めたい存在がいます。
半ズボンを推奨していた小学校の先生です。

なぜなのか。
本当に、なぜなのか。

健康?
精神鍛錬?
伝統?

今の基準で考えると、
理由が何であれアウトです。

寒さに耐えることと、健康は別問題。
論理はありません。
あるのは前例と空気だけ。

石油ストーブの上のやかんを、誰も疑わなかった時代

さらに言うなら、
子どもがいる居間で、
石油ストーブの上にやかんを置き、
当たり前のようにお湯を沸かしていた大人たち。

特に母親に、今ならこう聞きたい。

火事や、やけどの可能性は考えていなかったのか?

おそらく答えは、

「考えていなかった」

ではなく、

「それが普通だった」

便利。
加湿にもなる。
お湯もすぐ使える。

リスクと利便性を天秤にかけ、
無意識に“まあ大丈夫だろう”を選び続けていた

正月でも外に放り出される

正月だろうが関係ありません。

「子どもは風の子。外で遊んで来い」

この一言で、
ジャンパー+半ズボンのまま極寒の外へ。

チャリンコを爆走。
凧揚げ。


転べば擦過傷。

しかも当時は、

  • 乳液で保湿、という概念は無し
  • 乾燥で太ももはガサガサ
  • 擦過傷×乾燥=地獄

よく生き残ったな、と思います。

30年強で、日本人は別の生き物になった

それから約30年。

今の日本を見て、正直驚きます。

危機意識の変わり方が、もはや別国民レベル

  • 暖房器具は自動停止
  • 子どもの服装は過保護レベルで管理
  • 少しでも危険があれば即中止

良い悪いではありません。
ただ、価値観も判断基準も、完全に別物です。

昭和の正月は、
のどかでも、牧歌的でもありません。

寒さ。
火。
無防備な子ども。

すべて込みで、デンジャラスでした。

笑って語れるのは、
たまたま無事だったから。

絶対に世の中って良くなっているよね、と思う今日この頃です。

今日のところは、以上!

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