mutoです。
上岡龍太郎さんが亡くなられました。享年81歳。
ニュースでその報せを見た瞬間、胸の奥に静かな寂しさが広がりました。
「また一人、昭和の本物がいなくなったな」――そんな思いが自然と浮かびました。
「探偵ナイトスクープ」の局長としての記憶
私にとって上岡龍太郎さんといえば、やはり「探偵ナイトスクープの局長」です。
正直、それ以外の活動をリアルタイムで知っていたわけではありません。
まさか漫才トリオ「漫画トリオ」の一員だったとは、ずっと後になって知ったことです。

テレビ越しの上岡さんは、語彙が豊富で、喋れば喋るほど理屈が立つ。
まさに“立て板に水”という言葉がぴったりで、しかもどこか上品。

同じ吉本の芸人でありながら、俗っぽさや下世話な雰囲気が一切ありませんでした。
私は関西人ですが、正直に言うと吉本のお笑いがあまり得意ではありません。
どこか“騒ぎ”に近く感じてしまうことが多いのです。
けれど、上岡さんだけは違いました。
知性と品を兼ね備え、話に筋が通っていて、聴くほどに惹きつけられる。
まさに“インテリ”という言葉の体現者でした。
“怒れる知性”を象徴する人
今も強く覚えているのは、心霊ネタの依頼で途中退席したあの回です。
依頼内容に納得がいかず、番組の途中でスタジオを立ち去った上岡さん。
ディレクターが必死に止める中、静かに席を外していく姿に、
子どもながらに「この人、本気で怒ってる」と震えた記憶があります。
あの怒りには、単なる感情ではなく“理屈”がありました。
筋を通す怒り――そこに愛と責任が同居していた。
だからこそ、見ていた人にも伝わったのだと思います。
あれこそ、昭和の「雷親父」の理想形でした。
翌週、何事もなかったかのように局長席に戻り、
冷静に番組を回していた姿に、言葉にできない安堵を覚えました。
あの一連の流れが、私の中で“怒りの品格”という概念をつくった気がします。
“引き際の美学”と沈黙の意味
2000年、55歳でテレビから完全に引退。
あの潔さには、芸能界の枠を超えた美学がありました。
それ以降、メディアに登場したのは横山ノックさんの葬儀での弔辞のみ。
どれほど求められても、二度とテレビには戻らなかった。
その姿勢は、もはや芸人というより思想家に近いものでした。
今のテレビは「炎上してなんぼ」「露出してなんぼ」。
そんな時代だからこそ、上岡さんのように
“語らないことで語る” 知性が、いっそう輝いて見えるのです。
40代になって思う「本物の大人」の条件
今の私は40代。
自他ともにオジサンになりましたが、ふとした瞬間に思います。
「上岡さんみたいな大人になりたい」と。
見た目でも肩書きでもなく、
自分の頭で考え、自分の言葉で語り、
必要なときには本気で怒れる。
それはもう、“ダンディー”というより“本物の男”です。
今の時代、そういう人はどれほど残っているでしょうか。
上岡龍太郎さん。
あなたのような知的で上品で、そして信念を貫く芸人は、
もう二度と現れないのかもしれません。
あの時代を知る者として、ただ感謝を伝えたい。
心からご冥福をお祈りします。
今日のところは、以上!
価格:2860円 |
価格:2200円 |



コメント