100年に一人の逸材、リングを降りる。という話

サラリーマンの独り言

mutoです。

少し前になりますが、
新日本プロレスの社長であり、エースでもあった**棚橋弘至**が引退しました。

改めて言うまでもなく、彼はプロレス界の英雄です。

ただ、これは功績を並べて称える記事ではありません。
もっと静かに、「棚橋、お疲れ様」
と声をかけたくなる人物としての話です。

人生の先輩に向かって言うのはおこがましいですが

私より人生の先輩ですし、
あまり偉そうなことを言うと怒られそうですが。

それでも棚橋のキャリアを振り返ると、
どうしてもこう思ってしまいます。

この人は、表では笑い続けて、裏では泣き続けた人だったのではないか。

それを、ほとんど表に出さないまま。

新闘魂三銃士という並びで見たときの違和感

棚橋は「新闘魂三銃士」の一人でした。

正直に言えば、当時の印象としては、

  • 柴田勝頼
  • 中邑真輔

この二人の方が、突出したものを持っているように見えました。

棚橋は、どこか軽い。
器用で、スマートで、
悪く言えば「重みが足りない」。

少なくとも私は、
そう感じていました。

三人の道の前に立ちはだかった格闘技、という流れ

やがて三人は、完全に違うキャリアを選びます。

そこにはプロレス界に侵食してきた総合格闘技、という流れがありました。

中邑、柴田は一時期その道へ。

そして棚橋は、プロレスに残るという選択をしました。

これが、後から振り返ると正解であったものの、一番しんどい道だったと思います。

格闘技に侵食されるプロレス界で、踏ん張り続けた人間

当時のプロレス界は、
総合格闘技に飲み込まれつつありました。

  • 「強さ」の基準が変わり
  • 「リアル」が求められ
  • プロレスは時代遅れだと笑われた

その中で棚橋は、
新日本プロレスの屋台骨として
エースを張り続けました。

派手な改革者ではありません。
革命を起こしたわけでもない。

ただ、崩れそうな屋根の下で、一本の柱として立ち続けた。

この役割を、
十年単位で引き受け続けた。

そして最後は、社長まで兼任した

冷静に考えれば、異常です。

  • 現場の象徴であるエース
  • 団体のトップである社長

普通なら、どちらかが壊れます。

それを同時に背負い、しかも表では常に明るく、
ファンの前では笑顔を絶やさなかった。

正直、表現できないぐらいの苦悩があったと思います。

それでも、まだやりたかったはずだ

おそらくですが、棚橋には
まだレスラーとしてやりたい気持ちもあったはずです。

彼ほどの存在であれば、多少動きが落ちても
リングに立ち続けることはできた。

実際、そうしているレジェンドはいくらでもいます。

それでも彼は、そこから引いた。

プロとして、自分に許せなかったもの

ケガ。
肉体の衰え。
それは、どれだけ隠しても隠しきれない。

そして何より、
自分が人生をかけて守ってきたプロレスを、
自分自身の衰えで壊すこと。

それを、
棚橋は自分に許さなかったのだと思います。

これは撤退ではありません。
矜持です。

最後に

新闘魂三銃士の中で、最も「地味」に見えた男が、
最後までプロレスに残った。

気づけば、エースであり、社長であり、
団体の象徴になっていた。

派手さはない。
でも、いちばん重たい役割を引き受けた。

カッコいいぜ、棚橋。

心からそう思います。
そして、

本当にお疲れ様でした。

今日のところは、以上!

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