mutoです。
2026年の大河ドラマ
豊臣兄弟
が始まりました。

主人公は豊臣秀吉の実弟・秀長。
戦国という“数字が取れる時代”でありながら、主役を少し脇にずらすことで新鮮さを出す。
それでいて秀吉・信長・家康という戦国三英傑はきちんと描ける。
前評判が良いのも頷けます。
- 戦国という安定ジャンル
- 主役は通好み
- それでいて主要人物はフルセット
企画としては、かなりうまい。
NHKらしい、堅実で計算された一手だと思います。
ただ、私は見ていません
とはいえ、私はこの「豊臣兄弟」を見ていません。
出来が悪そうだから、ではありません。
むしろ、評判が良いことは分かった上で、意識的に距離を取っています。
理由はシンプルです。
近年の大河ドラマに、どうしても違和感を覚えるようになったからです。
近年の大河は、勧善懲悪になりすぎている
ここ数年の大河ドラマを見ていると、
どうしても勧善懲悪の色が強くなっているように感じます。
- この人物は正しい
- この行動は間違っている
- この戦いには意味があった
物語としては分かりやすい。
感情移入もしやすい。
ただ、その分だけ
視聴者に考えさせない作りになっている気がしてなりません。
特に気になるのが、
「戦乱の世を終わらせるために」
「民のために命を懸けた」
といったフレーズです。
戦乱を終わらせるために戦争をする。
冷静に考えれば、かなり苦しい論理です。
それでも「分かりやすい正義」として成立してしまう。
だからこそ、私はそこに危うさを感じます。
私は小さいころから大河ドラマを見てきた
ここで少し、個人的な話をします。
私は小さいころから大河ドラマを見てきました。
父親が歴史好きで、日曜夜のチャンネル権は完全に父親。
私はその横で、分からないなりに大河ドラマを眺めていました。
最初に強烈に記憶に残っているのは
独眼竜政宗。
内容を理解していたわけではありません。
それでも「痛々しい・・・」という感覚だけは、強く残っていました。

昔の大河は、答えを用意しなかった
忘れられないのが
武田信玄です。

中でも印象的だったのが、
信玄と嫡男・信義が甲相駿三国同盟の破棄をめぐって真正面から言い争う場面。
**中井貴一**演じる信玄と、
**堤真一**演じる義信が、
理屈と覚悟を真正面からぶつけ合う。
見ていて、本当にドキドキしました。
なぜなら、どちらの主張も間違っていないからです。
- 信玄の主張には、国を守る現実的な理がある
- 義信の主張には、同盟を破ることへの倫理と筋、正室に対する愛情がある
簡単に「正しい/間違い」で切れない。
視聴者は、どちらか一方に与することを強制されない。
しかし、決断は避けられない。
その結果として、親子断絶が起こり、信義は粛清される。
救いはありません。
後味も悪い。
でも、これが権力と統治のリアルでした。
昔の大河は、
「正解」を提示しない代わりに、
「選ばざるを得ない現実」を突きつけてきた。
だからこそ、骨太だったのだと思います。
「大河を見ている=インテリ」という勘違いの怖さ
ここで、もう一つ書いておきたいことがあります。
大河ドラマを見ていることで、
「自分は教養がある」「インテリだ」
と思っている人が、実際に存在します。
これは比喩ではありません。
ガチの話です。
私の仕事関係者の中に、そういう人がいました。
しかも、かなりの役職者でした。

正直、驚きました。
同時に、怖さも覚えました。
なぜならその人は、
ドラマをドラマとしてではなく、
「正解」だと受け取っていたからです。
なぜそれが危険なのか
大河ドラマは
日本放送協会
という公共放送が制作しています。
そのため、無意識のうちに
NHKがやっている
↓
それなりに正しい
↓
これが歴史の答え
という受け取り方が成立してしまう。
つまり大河ドラマは、
一つの解釈を「正解っぽく」見せてしまう装置になりやすい。
その状態で
「分かっている」
「教養がある」
と思ってしまうのは、かなり危うい。
知識ではなく、思考停止だからです。
少し暴論だが、それでも「るろ剣」の方が健全だと思う
ここからは、あえて言います。
今の大河ドラマを見るくらいなら、
るろうに剣心
の方が、まだ健全だと思っています。

逆刃刀も、志々雄誠も、確かにやりすぎです。
あれを史実だと思う日本人はまずいません。(笑)
しかし、**だからこそ重要なのは、るろ剣が「どこをリアルに描いているか」**です。
るろ剣が描いた「没落士族」のリアル
るろ剣の物語は、決して
「明治は素晴らしい時代だ」
「新政府は正義だった」
という立場から始まりません。
むしろ徹底して描かれるのは、
維新の“後始末”で取り残された人間たちです。
象徴的なのが
明神弥彦
という存在。

- 士族の家に生まれたが、維新で一気に没落
- 父は失意の中で亡くなり
- 自身は盗みや賭博まがいのことに手を染める
これが「新しい時代の光」でしょうか。
むしろ、新時代から最初に切り捨てられた側のリアルです。
大河ドラマでは、こうした存在は背景に追いやられがちです。
しかし、るろ剣では物語のど真ん中に置かれる。
ここが決定的に違います。
戊辰戦争は「正義の戦争」だったのか?
るろ剣は、戊辰戦争を
「正しい革命」
として描きません。
主人公の剣心自身が、
- 勝者側の人間であり
- 殺し屋として多くの命を奪い
- その罪を背負って生き続けている
という存在だからです。
つまり、るろ剣の世界では、
勝ったから正しい
生き残ったから正義
という整理が、一切できない。
これは、かなり残酷で、かなりリアルです。
明治政府は「理想の組織」として描かれない
さらに重要なのは、
るろ剣に登場する明治政府の役人たちが、
驚くほど普通に腐っている点です。
- 保身に走る官僚
- 現場を切り捨てる上層
- 理念より都合を優先する組織
例外的に筋を通す人物はいるものの、
組織としては決して美化されない。

ここには
「新しい時代=善」
という単純化がありません。
なぜ、それでも「健全」なのか
るろ剣は、明らかにフィクションです。
だからこそ、
- 嘘であることを隠さない
- 正解を提示しない
- 読者に判断を委ねる
この姿勢を貫いています。
一方で今の大河は、
- フィクションでありながら
- 正解っぽく振る舞い
- 教養の顔をしてしまう
ここが、私にとって決定的に怖い。
教養とは、答えを持つことではない
最後に一つだけ。
教養とは、
「正解を知っていること」ではありません。
- 簡単に割り切らないこと
- 分からない状態に耐えること
- どちらも誤りではない状況を引き受けること
それができなくなった瞬間、
どんなに立派なドラマを見ていても、
それは教養ではなく思考停止です。
大河ドラマが悪いのではありません。
正解だと思い込むことが、怖いのです。
「豊臣兄弟」が始まった今、
あえてそんなことを考えてしまいました。
今日のところは、以上!


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