30年前の夏休みを振り返ってみる、という話

サラリーマンの独り言

mutoです。

本当に暑くてまいってしまう今年の夏。

ニュースでは「不要不急の外出は避けるように」とアナウンスされ

連日35度を超えるのが当たり前になっています。

では、30年前、まだ私が小学生、中学生時代の夏休みはどうだったのか?

というのを思い出したので、つらつらと書き連ねていきます。

気温について

確か最高気温が32度ぐらいだったような記憶が・・・。

それも32度になると「今日は暑いわねぇ」みたいな会話があちこちで聞こえていました。

学校の先生も「宿題は涼しい午前中にするように」という指導をしていました。

32度なんて、なんなら今の気温から考えると涼しい感じだわ(笑)

夏休みの意義

「夏は暑すぎて勉強にならない。だから夏休みがあるのだ」という

校長先生がお話をされていたと記憶しています。

この理論が正しいのであれば、今の夏休みは7月~9月半ばぐらいまで

無いとおかしいですよね(笑)

なぜか8月中旬に1度登校日が設定されていた

これは中学校の話ですが、なぜか1日登校日がありました。

体育館に集まって、「だらけるなよ。調子に乗るなよ」みたいな

話を生活指導の先生から受けていました。

もちろん、いくら訓示を受けても荒れるやつは荒れるわけで。(笑)

あれ、意味あったのか?

朝は6時半からラジオ体操

近所の公園でラジオ体操が2週間ほどありました。

今なら苦情が来るレベルの大音量でしたが、当時はそれが容認されていました。

ラジオ体操が終わると出席カードにスタンプを押してもらいます。

そのスタンプがある程度たまると確かお菓子がもらえたような記憶があります。

「我が家は期間中に帰省があるので、この出席カードを預けとくわ。

 代わりに押しといて」

みたいな不正が親同士で日常的に繰り広げられていました。

平和な光景(笑)

朝9時~11時はアニメの時間

ドラえもん、アサリちゃん、かぼちゃワイン、あしたのジョー、一休さん、

タイガーマスクなどの

コンテンツが詰め合わせされた2時間枠のアニメの時間がありました。

あと、仮面ライダーシリーズも再放送があったような・・・。

そこでブラックとブラックRXをすべて見ましたね。

学校のプールが何日か解放される

夏休みのうち何日かは学校のプールが解放されました。

暑い中登校し、ぷかぷか浮いていましたね。

先生も監視員として働かされていました。

今思うと、わざわざ仕事ふやさんでええのに、と思いますが。

花火は基本ロケット花火

近所の公園で花火をよくやりました。

当時は縁日や駄菓子屋でロケット花火がバラ10円ぐらいで売っており、

それを打ち合いしていました。

目に入ると失明間違いなしの、ほぼ兵器と言っても過言でない花火でしたが・・。

あと煙玉という、ただただ煙が出るだけという

今思うと何が面白いのか?と思うようなものに火をつけ

お互いに投げ合っていました。

もちろん後片付けなど一切せず。

今なら警察に通報されてもおかしくない・・・。

熱中症なんて関係ない!炎天下の中、チャリンコで走り回る

当時はクーラー病という言葉があり、

「クーラーに当たりすぎるとよくない」という一般認識がありました。

また、子供は外で遊ぶもの、という一般認識がありましたので

基本炎天下だろうと何だろうと外で遊んでいたと思います。

移動は基本チャリンコ。それも立ちこぎです。(笑)

今思うと、めちゃくちゃな夏休みでしたね。

でも、楽しかったような気がします。

この記事を書いていると

今は確かに外気は暑いのですが、かえって外出しないので

実は快適なのでは?と思ったりします。

今日のところは、以上!

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