mutoです。
今日は、平成初期J-POP世代ならきっと胸が熱くなる話をします。
中学1年、運命の出会い
大黒摩季を初めて知ったのは、中学1年生──90年代初めのこと。
当時の私は、まだ女性とお付き合いすらしたことがないピュアな中学生。
憧れの、綺麗で、歌が上手くて、どこかミステリアスな魅力的な大人の女性。
「きっと大人になったら、こんな女性とかっこいい恋愛をするんだろうな…」と、勝手に妄想を膨らませていました。

時々ドキッとする歌詞と、力強い歌声に本当に魅了され、
ラジカセの再生ボタンを何度も押しながら、まさにCDを擦り切れるほど聴き込みました。
本気で「あの時期、日本で一番彼女の曲を聴いていたのは私だ」と信じています。
ラジオの前で応援していた日々
毎週欠かさず聴いていたラジオのランキング番組。
彼女の順位が発表されるたび、「頑張れ、頑張れ!」と今はもうどの家電量販でも売っていない
CDダブルラジカセ(!)の前で声援を送っていました。
特に好きだったのは「あぁ」「Rocks」、そして「夏が来る」。
曲を聞いているだけで彼女にふさわしい大人の男になったと思っていた中学生、それが私でした。(笑)
中学生には刺激が強すぎた歌詞
「夏が来る」にある、
愛してる、なんて本気でHしたら その日から都合の良い女扱い 真面目なだけなのに
こんな歌詞、10代前半の中学生が聴いたら、そりゃもう逝ってしまうでしょ?(笑)
さらに「あぁ」では、
やらなきゃいけないことだらけ やりたいことつのるだけ このままでいいのかな? 何もかもが不安に変わるよ
という、胸の奥をえぐるようなストレートな言葉。
そんなことをサラッと歌い上げるのです。
大人の女ってカッケー、と当時の同世代の男子は皆思っていたはず。
「実在しない説」が流れるほどのミステリアスさ
当時、ファンの間で囁かれていたのが“作られた人説”。
歌い手、ジャケット写真、作詞作曲──すべて別人で、大黒摩季は実在しない。
音楽番組全盛期にもかかわらず、ほとんどテレビに出ず、ライブもしていなかった彼女。
ネットもない時代なのに、この噂はなぜか多くの人が信じていました。
それくらい、彼女はミステリアスな存在だったのです。
しかし後年、本人のインタビューで真相が語られました。
曰く──「当時、作品の作り込みに必死で、表に出る暇がなかっただけ」。(笑)
いや、嘘でもいいから「アレは事務所が仕掛けたマーケティング戦略だった」と言ってほしかった!(笑)
それこそ、今のAdoのような売り方を30年前にやっていた、と言われたら胸を張って自慢できたのに…。
「熱くなれ」で感じた天下獲り
そして1996年、アトランタ五輪。
「熱くなれ」が日本代表応援ソングになった瞬間、私は「大黒摩季が天下を取った!」と確信しました。
有森裕子が2大会連続でメダルを取った時以上に、私にはそれが嬉しかったのです。(笑)

初めてのお小遣いで行ったライブ
そんな彼女のライブがついに開催されると知ったとき、迷わず行くと決めました。
大黒摩季のセカンドツアー。
ネット購入なんてない時代、始発の電車に乗り、チケット屋さんの前に座り込み、ようやく手に入れたのは立見席。
確か大阪城ホールだったはずです。

足が棒になるまで立ちっぱなしでしたが、あの夜は、今も特別な思い出です。
23年ぶりの再会
そして2022年の夏。
通勤中にYouTubeで偶然目に飛び込んできた「大黒摩季」のサムネイル。
Remastered映像を再生した瞬間、あの頃の鼓動が一気によみがえりました。
しかも、30年前とは比べ物にならないほどイヤホンの性能が上がっており、
久々に聴いた彼女の曲のクオリティに思わず驚愕。
「私は彼女の作品をあれだけ聴き込んでいたのに、その細部までは理解していなかったのだ…」と気付かされました。
皆さんも、昔好きだったアーティストの曲があるなら、ぜひ今の環境で聴き返してみてください。
きっと、平成初期の作品の完成度の高さにびっくりするはずです。
あの頃の音楽がくれたもの
平成初期の音楽には、聴くだけで時代の空気や自分の感情を呼び起こす力があります。
MDやカセットに録音し、ランキング番組に一喜一憂したあの日々。
大黒摩季は、その時代の象徴でした。
ありがとう、大黒摩季。
あの時代を一緒に駆け抜けてくれて。
これからも、あなたの歌を聴きながら、時々あの頃の自分に会いに行きます。
今日のところは、以上!
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