大人になって字が汚くなった理由 「綺麗」じゃなくて「丁寧」であることが大事だと気づいた、という話

サラリーマンの独り言

mutoです。

きれいな字が書けなくなっていた

ふと気づいたんですよね。

自分の字、汚くないか?と。

誰も信じてくれないと思いますが、私は小学校時代、習字教室に通っていました。


硬筆もやっていましたし、コンクールで表彰されたこともあります。

正直に言うと、当時は字がきれいなことにちょっとした自信がありました。

それが今はどうか。

結婚式の受付で名前を書くとき、ちょっとだけ躊躇するんですよね。
「これ、人に見られるよな…」って。

普通に恥ずかしいです。

なぜ字は汚くなるのか

正直、今の仕事で文字を書く機会ってほとんどないんですよね。
あっても自分用のメモくらいです。

つまり、そもそも書いていない。

しかも人に見られることもない。

そりゃ汚くなりますよね、という話です。

ただ──

たまに見られたときに
「あ、この人字汚いな」
って思われているであろう空気は、めちゃくちゃ感じます(笑)

高校時代、意味のなかった「綺麗なノート」

高校時代、数学がまったく分からなくなりました。

授業についていけない。

でもなぜか、ノートだけはめちゃくちゃ綺麗に取っていたんですよね。

おそらく学校でもトップクラスだったと思います。
見やすくて、整っていて、無駄に美しいノート。

ただし──

中身はまったく理解していない。

完全に「意味のないノート」でした(笑)

何が言いたいかというと、10代後半はまだ綺麗な字が書けていた、ということです。

理解していない内容でも(笑)

「字がきれいでも意味がない」は本当か

昔は思っていました。

「字がきれいでも意味なくない?」と。

今は全然そうは思いませんね。

確かにある程度スピードが求められることもある。

それによって殴り書きが必要な時もあるにはある。

でも、正直殴り書きで書いても、ある程度丁寧に書いても

冷静に考えればそれほど時間って変わらないんですよね。

字は“たまに”評価される

普段は別に問題ないんですよ。

でも、こういう場面になると一気に効いてきます。

  • 結婚式の受付
  • 手書きのメッセージ
  • 署名
  • 子どもの書類

こういうときに字が汚いと、

「あ、この人ちょっと雑だな」

と思われる。

これ、地味に痛いです。

人生の折り返しでようやくで気づいたこと

ここでようやく気づきました。

綺麗な字じゃなくていいんですよね。

丁寧な字でいい。

この違い、けっこう大きいです。

  • 綺麗=練習が必要
  • 丁寧=意識で変えられる

丁寧に書くだけで、普通に変わる

やることはシンプルです。

  • ちょっとゆっくり書く
  • 最初の一文字だけ意識する
  • 人に見られるところだけ丁寧にする

全部完璧にやる必要はないです。

むしろ無理です(笑)

スピードより印象

若い頃はスピード重視でいいと思います。

でもある程度年齢を重ねると、

  • 速いけど雑
    より
  • 少し遅いけど丁寧

の方が評価されます。

これ、仕事でも同じですよね。

「丁寧に書く」という選択

2026年も気づけば3ヶ月。

日本は4月から新年度という、ちょっと不思議な区切りがあります。

まあ、いいタイミングです。

これからは決めました。

綺麗じゃなくていい。丁寧に書く。

多少時間がかかっても、仕事のアウトプットは正直そんなに変わりません。

でも印象は確実に良くなる。

そして何より、自分がちょっと気持ちいいです。

最後に

これでも一応、2児の父親。

子どもに
「うわ、字きたな…」
と思われるのは、さすがに避けたい(笑)

だからこそ、こういうことはちゃんと伝えたいと思う。

綺麗じゃなくていい。
でも──

読む人にきちんと伝わる、丁寧な字を書きなさい。

今日のところは、以上!

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