mutoです。
伊藤淳史を見ると、いまだに脳が勝手にささやく言葉
今では日本を代表するといってもよい俳優「伊藤淳史」。

でも私にとっての彼はは「ちびノリダー」なんです。

私と同世代の人間はきっと同じだと思います。
そもそも「仮面ノリダー」とは何だったのか?
ちびノリダーとは「仮面ノリダー」の登場人物。
では、「仮面ノリダー」とは? 下記の通り。
● 放送時期
1988〜1996年。
とんねるず無双、フジテレビ黄金期、視聴率20〜30%台が普通だった“化け物時代”。
● コンセプト
「本家・仮面ライダーを本気でパロディする」
そして重要なのは“本気で”の部分。
- 無駄に豪華なスーツ
- 無駄に派手な爆破
- 無駄に本格的な撮影
- 無駄に壮大なBGM
無駄のオンパレードなのに、全部が最高の笑いに直結していた。
一言で言うと壮大なバカ(←誉めています)
小学2年生、夜9時の“禁断の時間”に挑んだあの頃
『みなさんのおかげです』の放送は21〜22時。

当時小学2年生の私。普段なら完全に就寝時間。
眠気と戦いながら、必死にテレビを見る。

テレビがエンタメの王様だった時代の、象徴的な光景だった。
初めて見た怪人は「カニ男」──最強クラスなのに見た目が0点
記憶の奥に最初に残っている怪人は カニ男。

Wikipediaでは“シリーズ最強クラス”
とされているが──
画面に現れたのは、
「カニの着ぐるみを着た石橋貴明(顔丸出し)」
という怪人感ゼロの存在だった・・・。
確か、苦戦したノリダーが最終手段としてちびノリダーを投入。
勝利したノリダーがカニ男をカニ鍋にして食べてしまう、という結末。
バカですね~(笑)
何度も言いますが、これ、ほめています。
給食の時間、酸欠になるほど語りまくった「カニ男」
翌日の学校。
給食の時間にカニ男の話を止まらず語った。
だが──
同級生のほとんどはその時間に寝ている。
つまり、誰も見ていない。
つまり、話は完全に滑る。
しかし滑ろうが関係なかった。
「同級生が寝ている時間に“大人のコント”を観ていた」という妙な優越感と幸福感。
今思えば完全に痛い子どもだが、その痛さすら含めて宝物のような記憶。
そして今でも思う。
あの時代、SNSがなくて本当に良かった。
絶対にろくでもない投稿を量産し、炎上しまくっていたと思うから。
本家の仮面ライダーを知らない世代でも爆笑できた理由
当時の自分は、本家の仮面ライダー世代ではありません。

だから本来、元ネタがわからないはずのパロディを心から楽しめるはずがない。
それでも仮面ノリダーは強烈に面白かった。
今思えば、これはもう
“パロディの枠を超えた完成度”
だったからだ。
- 元ネタ不要の誇張演技
- 子どもでも理解できるテンポ
- 大人が本気でふざけている熱量
- ちびノリダーという説明不要の爆笑兵器
つまり仮面ノリダーは、
「仮面ライダーのパロディ」ではなく、
単体で成立する“完成された作品”だった。
本家を知らなくても笑える。
この事実だけで、当時のフジテレビのレベルの高さがわかるんじゃないでしょうか。
軽チャー文化と「面白くなければテレビじゃない」
仮面ノリダーの背景には、
フジテレビの“軽チャー文化”がありました。
- 軽くて
- 明るくて
- 雑に見えて本気
- 勢いで押し切る
- 金をかけてふざける
そしてフジテレビが掲げていた言葉は、
「面白くなければテレビじゃない」
これはただのキャッチコピーではなく、
実際に実行されていた“本物の理念”だった。
仮面ノリダーはその象徴でした。
30年以上経った今でも、これだけは揺るがない
時代も価値観も、テレビの立ち位置も大きく変わった。
フジテレビにもいろいろ事件や批判があった。
しかし、それでも揺るがない事実がある。
あの頃、日本列島のエンタメの中心にはフジテレビがあった。
そして、
みんなフジテレビを見て笑っていた。
あの“国民総バカ笑い”の時代は、もう戻らない。
だが、確実に存在していた。
仮面ノリダーは、その象徴でした。
おまけ
とんねるずに負けない関西の懐かしお笑い番組はこれ!
ちょっと仮面ノリダーとは時代がずれますけどね。
まぁ、懐かしいことには変わりはないということで・・・(笑)
今日のところは、以上!



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