君は「シュウォッチ(シューティングウォッチ)」を知っているか? ──ただの連打計測器が100万台以上売れた、という昭和のクレイジーさが分かる話

君は○○を知っているか!

mutoです。

「シュウォッチ」という装置をご存じでしょうか。
ファミコンの周辺機器のような見た目ですが、実際にはゲームではありません。

10秒間にボタンを何回押せたか、その回数だけを表示する“連射計測器”です。

高橋名人 16連打

そして、それが大ヒットした。

はっきり言って意味不明です。
ストップウォッチが大ヒットするのと大差ない。

「何がおもしろいねん!」と突っ込みたくなるタイプの装置です。

しかし、正直に申し上げます。

我が家にありました。
そして、めちゃくちゃ遊びました。

■メーカーが想定していない遊び方が全国で標準化したのです

シュウォッチは本来、シューティングゲームで勝てるように連射を鍛えるための練習機でした。
ところが昭和の子どもたちは、そんな正統派の使い方には見向きもせず、独自の遊び方を開発していきました。

  • 爪を横にスライドさせて高速連打する「爪スライド打法」
  • 定規をしならせてバインバインと連打する「定規打法」

シュウォッチ こすり記録 431連射

【シュウォッチ】1987年 ハドソン シューティングウォッチ / 1987 Hudson Shooting watch

どちらもメーカーは想定していませんでした。当たり前ですが説明書にも載っていません。
それなのに、なぜか全国の小学生が当然のようにこのテクニックを使っていました。

噂と口コミだけで広がり、日本中の子どもたちがほぼ同じ遊び方をしていたのです。

子どもの創造力と情報伝播力は本当にすごいでから

メーカーが想定しなかった方法で記録を更新することに情熱を注ぎ、結果としてまったく別の玩具へと“進化”させてしまい、かつそれをいつの間にか全国スタンダードにしてしまったのですから。

■数字を積み上げることが人生の目的になっていたのです

私は毎日、記録を更新するために爪をガシガシとこすりつけていました。
腕はプルプル震え、呼吸は荒くなり、10秒間の勝負に全エネルギーを注いでいたのです。

ただの数字のためだけに、子どもたちが毎日、無言で装置に向かって爪をこすり続ける。
部屋の中には電子音すら鳴らない。静寂の中で、数字だけが増えていく。

はっきり言ってホラーです。

さらに衝撃的なのは、その連射記録は本来の目的であるシューティングゲームにはほとんど役に立たなかったという事実です。

「ゲームのための連射練習機」が、いつの間にか「数字を伸ばすこと」そのものが目的になっていたのです。

■なぜこんな装置が100万台以上も売れたのでしょうか?

当時のファミコン本体は14,800円でした。高額であり、「テレビを占有する」「目が悪くなる」などの理由から、親にとって購入ハードルが非常に高かったのです。
一方、シュウォッチは希望小売価格1,200円。テレビを使いませんし、時計としても使える。どことなく「知育玩具っぽい安心感」すら醸し出していました。

結果として、日本中の家庭でこういう現象が起きました。

「ファミコンはダメ。でもシュウォッチなら……まあいいか」

実は我が家もまさにこのパターンでした。ファミコンは買ってもらえなかったのに、シュウォッチだけはあっさりOKが出たのです。

■データで見るシュウォッチ現象の異常さ

項目数値
発売年1987年
希望小売価格1,200円
累計出荷台数100万台以上(最大150万台説あり)
ファミコン本体価格14,800円
ファミコン普及台数(1988年)約1,147万台
シュウォッチ所有率(推定)ファミコン世帯の約8〜13%

画面もキャラクターもBGMもない。ただ数字が増えるだけの装置が、日本中で100万台以上売れたのです。これはヒット商品というより、社会現象と呼ぶべきレベルです。

■目的と手段がひっくり返った瞬間です

繰り返し言いますがシュウォッチは本来、「シューティングゲームで勝つための手段」でした。


しかし、気づけばこうなっていました。

ゲームに勝つために連射をするのではなく、連射記録を伸ばすために生きる

完全に、目的と手段が入れ替わっていたのです。

この構造は玩具だけの話ではありません。日本社会の至るところに根を張っています。

  • 会社は「顧客のため」に作られた → いつの間にか「売上目標のため」に存在している
  • 受験は「学ぶため」にあった → いつの間にか「偏差値を上げること」が目的になっている

私たちは、昭和の子どもの頃にすでに「目的と手段の逆転」という構造を体験していたのです。

それが今の価値観の原型になっているのかもしれません。

■もし、あの情熱を別の方向に使っていたら?

ここで少し真面目に考えてみたいと思います。

あのシュウォッチに注いでいた情熱を、勉強やスポーツ、語学に使っていたら──私はもっと偏差値の高い大学に進学していたはずですし、会社でも今ごろあと2段階くらいは出世していたと思います。
さらに語学学習に振り向けていれば、英語・中国語・フランス語を操るトリリンガルにだって余裕になっていたでしょう!(キリッ!)

それぐらい、当時は「連射という謎の競技」に本気になっていました。

あぁ、人生の無駄遣い・・・・(笑)

■そして今、その世代が日本を動かしているのです

私は現在40代半ばです。シュウォッチ世代はおおむね40〜50代になります。
つまりこの世代の中には、すでに経営者、上場企業の役員、官僚といった、日本の政治・経済の中枢にいる人々が含まれています。

爪をこすって連射記録に命を燃やしていた人々が、今この国の意思決定を担っているのです。

そりゃ目的と手段がズレることもあるはずです。
なにせ、我々は30年前からすでにズレた状態で走り始めていたのですから。

■昭和とは“無駄なことに全力を注げた”幸福な時代でした

シュウォッチは、ただの連射玩具ではありませんでした。
あれは「意味があるかどうか」ではなく、「燃えられるかどうか」で行動する昭和人の精神を象徴した存在です。

効率や合理性では測れない熱量。
それが日本人の創造性を支え、同時に“目的と手段の逆転”という文化も生み出しました。(笑)

昭和の狂気と熱量。その原点が、あの小さな黄色い装置だったのです。
そして今の日本は、その延長線上にあるのかもしれません。

■そして──この記事を読んでいるあなたへ

この記事を読んで「いや、それやってたわ」と心のどこかでうなずいてしまったあなた。
あなたもまた、シュウォッチに魂を捧げた“連射の民”です。

つまり今の日本は、あの黄色い装置を前に腕をプルプルさせながら数字を追いかけていた我々の延長線上にあります。
昭和は終わっていません。形を変えながら、今もこの国の根底で脈打ち続けているのです。

今日のところは、以上!

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