修行のための雑用は本当に必要か?相撲部屋のちゃんこ番と板前修行を生産性の視点で考えてみた、という話

サラリーマンの独り言

mutoです。

ちゃんこ動画は見ていて気持ちいい。でも、少し冷静になった

アスリートが大量にご飯をかき込む動画を見るのが好きで、よく流し見しています。

その中でも、どうしても目に入るのが相撲部屋のちゃんこ動画です。
大鍋で作られるちゃんこ、無言で黙々と食べ続ける力士たち。

正直、見ていて気持ちいい。


ただ、少しだけ立ち止まって考えたくなりました。

若手がちゃんこを作る時間は、本当に最適なのか

相撲部屋では、稽古の終盤になると番付が下の者がちゃんこの準備を始めます。
信じられないほどの量を、一気に仕込む光景は圧巻です。

しかし、冷静に考えると疑問が浮かびます。

その時間、練習に充てた方が
部屋にとっても、若手本人にとっても良いのではないか

相撲部屋は、幕内力士が多いほど、協会からの分配金が増える仕組みです。
つまり部屋の経営目線では、「強い力士を育てること」が最優先のはずです。

それなら、

  • 食事は外注する
  • 若手は稽古に集中させる

という方が、合理的にも見えます。

板前修行の雑用と重なる違和感

この疑問は、相撲に限った話ではありません。

板前の世界でも、新弟子はまず

  • トイレ掃除
  • 床掃除
  • 雑用全般

から始める、という話がよくあります。

もちろん、誰かが担わなければならない仕事です。
ただ、次の点は否定できません。

掃除をどれだけ完璧にしても、料理の腕は直接的には上がらない

包丁技術も、味付けも、火入れも、雑用では身につかない。

であれば、

雑用することに意味はあるのか? ということになるわけです。

それでも雑用が残り続ける理由

それでも相撲部屋や板前修行から雑用が消えないのはなぜか。

理由は、技術習得とは別の目的があるからです。

  • 序列を体で覚えさせる
  • 組織のヒエラルキーを固定する
  • 辞める人間を早期にふるい落とす

雑用は、育成というよりも
選別と統治のための装置として機能しています。

練習量で淘汰するより、
生活そのものに負荷をかけた方が、管理する側にとっては楽です。

雑用が問題なのではない

ここで誤解してはいけないのは、
雑用そのものが悪だと言いたいわけではない、という点です。

問題になるのは、

  • 雑用が常態化していないか
  • 目的や終わりが見えないまま続いていないか
  • 本来の成長機会を侵食していないか

この境界線です。

相撲も板前も、日本型組織の縮図

ちゃんこ番や雑用修行は、
伝統や美談として語られがちです。

しかし構造として見れば、

人間を資本として扱うための制度

という側面が強い。

  • 新人に雑務を任せる
  • 序列を固定する
  • 自然淘汰で選別する
  • 有望株だけを引き上げる

相撲は露骨なだけで、
多くの日本型組織とよく似た構造を持っています。

石の上にも三年、と言うが・・・

それは意味のある修行の三年である必要があるわけで。

雑用を三年しても、それは雑用を器用にこなす人、と言うだけなんですよね・・・。

いくらちゃんこ作りがうまくても弱い力士は意味がないし、

トイレ掃除をいくら完璧にやっても料理ができない料理人も意味はないわけです。

生産性向上が叫ばれる昨今。

このことをもう少し考えてみてもよいのかな?と思ってしまいます。

今日のところは、以上!

コメント

タイトルとURLをコピーしました