mutoです。
近代野球のレベルを考えれば、1569安打・307本塁打という数字は本当にすごい。
その中田翔が、中日ドラゴンズでのシーズンを最後に現役引退を表明しました。
プロ生活16年。
日本ハムの4番として長く君臨し、WBCにも2度選出。まさに「日本の4番」と呼ぶにふさわしい存在でした。
日本ハム時代を象徴する新千歳空港タペストリー
日ハム時代を象徴するのは、新千歳空港で見た大きな広告。
「北の大地には日本のエースと四番がいる」というキャッチコピーとともに、中田翔と誰か(もしかしたらダルビッシュ?)が並んでいた──そんな記憶があります。
それぐらい当時の中田は北海道を象徴する存在だった、ということです。
全盛期の中田翔は“オラオラ感”全開のホームランバッター
全盛期の中田は、打席に立つだけで「これは飛ばすぞ」と思わせる圧を放つ存在。
ギラギラのネックレスにオラオラ系の雰囲気。
スタンドに入る予感しかしなかったのを今でも覚えています。
セ・リーグ感をまとったパ・リーグの選手
中田がプロ入りした2008年前後、セ・リーグはベテラン主体で少しおじさん臭い雰囲気。
一方、パ・リーグは若手が伸び伸びしていて、どこかスタイリッシュさがありました。
そんな中での中田翔。**「セ・リーグっぽい匂いを持ったパ・リーグの選手」**という印象でした。
あえて言えば、昔の近鉄バファローズにいたらしっくりくるタイプ。私にとってはそんなイメージです。
ダルビッシュとの対照──超一流との差
同時代を過ごしたダルビッシュは、自己管理能力に優れ、メジャーでも超一流に到達。
一方の中田は、才能と努力に恵まれながらも最後に自分を律する部分でつまずいた。
両者の差は、まさに「セルフマネジメントができるかどうか」だったのだと思います。
暴行事件と“一流ゆえの苦しみ”
2021年の暴行事件でキャリアは大きく揺らぎ、巨人に無償トレード。最終的には中日へ。3球団を渡り歩いた末に引退となりました。
もちろん事件の責任は本人にあります。
ただ、その背景には「プレイヤーとして力が落ちている」ことを自覚し、焦りや苛立ちが募っていた部分もあったのかもしれません。
これは一流の選手だからこそ分かる感覚で、普通の選手には味わえない苦しみだったのかもしれません。
もし監督が新庄BIGBOSSだったら?
ふと思うのは──もしあの時の監督がBIGBOSS新庄だったら?という“タラれば”。
彼のキャラクターや距離感の取り方なら、中田を違う形でコントロールできていたかもしれない。
もちろん想像でしかないですが、少なくとも違った結末があったのでは?と考えてしまいます。
野球にひたむきな努力家でもあった
自主トレや練習の姿勢は真面目で、野球に向き合う姿勢そのものはストイックでした。
だからこそ「ゴタゴタさえなければ、もっとすごい数字を残せたのでは?」と思わせます。
結局、才能や努力だけでは足りない。最後に大事なのは自分を律する力。
中田翔のキャリアは、その厳しさを浮き彫りにしてくれました。
今後の中田翔はタレント路線?
指導者の道は険しそうですが、解説者やタレントとしてなら十分活躍できるでしょう。
ただ、調子に乗るとまたやらかすんじゃ……と、つい心配してしまうのも彼らしさかもしれません(笑)。
とにかくお疲れさまでした。
今日のところは、以上!
コメント