mutoです。
ガラスの十代という物語
光GENJIの「ガラスの十代」

KinKi Kidsの「硝子の少年」

どちらも時代を代表するヒット曲です。
メロディがいいのはもちろんですが、
支持された理由はもっと単純だった気がします。
みんな歌詞に納得していた。
恋愛に悩み、傷つき、世界とうまく馴染めない少年。
繊細で壊れそうな存在。
若さとはガラスなんだ、と。
しかも、美しいガラスなんだと。
10代は確かに傷つきます。
失恋する。友達関係で悩む。進路に迷う。

でも振り返ると、あれは安全な世界でした。
問題の中心が、だいたい恋愛か勉強だからです。
失敗してもやり直せる。
時間も体力もある。
遠回りですら思い出になる。
10代の失敗は、やがて青春になる。
だから歌になる。
だから何十年経っても心に残る。
少年は、失敗ですら美しい。
ガラスの中年という現実
では中年はどうでしょう。
ここから急にジャンルが変わります。
住宅ローン。
教育費。
親の老い。
仕事の停滞。
健康診断の数値。
イベントが一気に現実寄りになります。
しかも一つずつでは来ない。
全部まとめて来る。
中年も普通に傷つきます。
むしろ理由は増える。
肉体の衰え。
仕事のつまずき。
家庭の問題。
社会的な立ち位置。
それぞれが絡み合い、簡単に身動きが取れなくなる。
若い頃のように「やり直せばいい」とは言えない。
背負うものが多すぎる。
気力も体力も時間も、昔ほど残っていない。

中年の失敗がつらい理由
そして最大の違い。
中年の失敗は、美しくない。
少年の失敗はドラマになります。
失恋は青春。挫折は成長。迷いは物語。
でも中年が転ぶと、ただ生活が少し苦しくなる。
評価も急に冷たくなる。
経験不足ではなく判断ミス。
未熟ではなく自己責任。
しかも厄介なのは、多くの場合それが特別な失敗ですらないこと。
老い。停滞。限界。誰にでも訪れる出来事。
順番が回ってきただけなのに、ダメージは確実に積み重なる。
曇りガラスとしての中年
若さは透明なガラスでした。
光を通す、美しいガラス。

中年も同じガラスです。
ただ種類が違う。
中年は曇りガラス。
最初から曇っていたわけではない。
仕事で削れ、家庭で悩み、
社会の中で擦れ続けた結果、透明ではなくなった。
意図的なおしゃれな曇りではありません。
生活による経年劣化です。

そのガラスを社会も家庭も容赦なく押してくる。
責任。期待。役割。
よく見ると細かなヒビも入っている。
それでも簡単には崩れない。
自動車のフロントガラスみたいなものです。
衝撃を受けても砕け散らないようになっている。

家族がいる。仕事がある。生活がある。
だから踏ん張る。
外からは形を保って見える。
でも中身は、まあまあボロボロです。
中にはもう粉々になってしまったガラスもあります。
珍しい話ではありません。
だから歌にならない
もし「ガラスの中年」という曲があったら。
たぶんヒットしません。
重すぎる。夢も希望もなく、生活感しかない。
共感はされても、何度も聴きたくはならない。
だから歌にならない。
みんな経験するのに。(笑)
10代、少年は失敗ですら美しい。
中年の失敗は美しくない。
悲しいけど、たぶん事実です。
でも。
みんな普通に傷ついています。
仕事で。家庭で。体で。人生で。
表に出さないだけ。
ガラスの十代が守られるなら、
ガラスの中年にも、もう少し優しくしてやってください。
いじめ、あかん。
ほんまに。
今日のところは、以上!


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