mutoです。
今回はちょっとセンシティブな話題ですが、「伝統」と「多様性」について考えてみたいと思います。
「はだか祭り」ってどんな祭り?
愛知県の国府宮神社で行われる神事、「はだか祭り」。
ふんどし姿の男たちが激しくぶつかり合う、まさに“天下の奇祭”。
画像で見たことある人も多いと思いますが、インパクトがすごいですよね。
あれは一種の非日常。神事としての厳粛さと、荒々しいエネルギーが融合した日本独特の文化遺産です。
私も詳しくは存じ上げないのですが、確かにこのビジュアルは
「はいはい。これね」という感じです。

今年は女性が参加?しかも着衣で?

そんな「はだか祭り」に、今年は着衣のまま女性が参加したというニュースが話題になりました。
世間的には「時代の流れ」として肯定的に受け止める声が多いようですが…
私はハッキリ言います。これは「NO」です。
多様性って、そこまでして押し通すもの?
勘違いしないでほしいのですが、私は決して「女性排除」や「差別」を肯定するわけではありません。
でもこれは神事です。
神道の中で長年受け継がれてきた儀式であり、「男がふんどしでぶつかり合う」という形式そのものに意味があるのです。
形式に意味がないなら──
・相撲取りが髷を結う意味もない
・剣道の袴も不要
・神主の装束もTシャツ&ジーンズでOK
…いや、違うでしょ。
伝統とは「続けること」にこそ意味がある
突き詰めれば、伝統や神事に“機能的意味”なんてないかもしれません。
でも、だからといって変えていいものではない。
千年以上続いてきた形を、現代の“空気感”だけで崩していいはずがないんです。
「担ぎたい」なら新しい祭りをつくればいい
本当に女性がみこしを担ぎたいなら、「女性が担げる祭り」を立ち上げればいいだけ。
誰も止めません。
むしろ応援します。
自由に開催して、自由に盛り上がってください。
でも、それをわざわざ既存の神事に持ち込んで変えようとするのは、
単なる“暴力的な多様性”です。
「多様性」の名のもとに伝統が壊されていく
今回の件、個人的には「典型的な悪例」だと思っています。
誰かの正義や理想が、長年守られてきた文化を“上書き”してしまう。
そういう流れには、私はどうしても賛成できません。
「多様性」の名のもとに伝統が破壊される。
それは決してあってはならないことです。
今日のところは、以上!
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