mutoです。
2024年7月27日、超RIZIN.4。
YA-MANとの一戦でKO負けを喫した金原正徳が引退を表明。
この記事では、ZST時代から応援してきた一人のファンとして、
彼のキャリアを振り返りつつ、なぜ金原が“報われないけどリアルに強い選手”だったのかを、体験も交えて語ります。
「このカード、金原が捻るでしょ?」と思ってました。
すいません。
今回のYA-MAN戦、試合前は正直「金原が普通に捻るだろ」と思ってました。
2Rまでは実際その流れだったようです。
でも、3Rでガス欠気味になり、まさかのKO負け。そして引退表明。
その瞬間、「ああ、ついにこの時が来たか…」と胸にぽっかり穴が開きました。
戦極GPのときは、「金原で大丈夫?」って思ってました。
本当にすいません。
2009年の戦極フェザー級GP。
エントリー発表を見たとき、正直に言えばこう思いました。
「いやいや、金原で大丈夫か?地味すぎないか?」
当時は日沖発や小見川の方が実績も注目度も上。
金原は失礼ながら、“トーナメントの引き立て役”くらいに思ってました。
でも、準決勝で日沖に一度は敗れながらもリザーブから勝ち上がり、決勝で小見川を下して優勝。
あの番狂わせには、心底しびれました。
「ZSTの金ちゃん」だった頃から応援してました
もっとさかのぼれば、ZST時代。
当時の彼のブログタイトルが**「ZSTの金ちゃん」**だったんです。
ほんと、知る人ぞ知る存在。
私も最初は「え、金原弘光の親戚?」と思ってたぐらいです(笑)
【リアル体験】握手してもらったあの夜、格闘家の“ギャップ”を感じた
これはちょっとした自慢なんですが、
私、金原選手に握手してもらったことがあります。
それも、あのKID戦で勝利した直後のパンクラス会場で。
でも正直、最初は本人だと気づきませんでした。
遠目で見た時は、ただの“ジムに通ってる兄ちゃん”くらいにしか見えなくて、
「ほんまにKIDに勝った選手か…?」
と疑ってしまったほどです。
ただ、近づいて声をかける瞬間、なぜか緊張したのを覚えてます。
そして握手してもらったときにわかったんです。肩回りの分厚さ、拳の硬さが尋常じゃない。
「ああ、やっぱ本物だわ」と。
ちなみに、あんまりウェルカムな感じではなかったです(笑)
無愛想とまでは言わないけど、少なくともニコニコしてるタイプではない。
でもそれが逆に良かった。媚びない硬派な格闘家感があって、「これぞ金原」って感じでした。
判定で勝ったKID戦、なのに映像は“あのシーン”だけ
2009年大晦日、Dynamite!!で山本“KID”徳郁に判定勝ち。
実はこの試合、金原がKIDからダウンを奪っての明確な勝利でした。
でも後日、使われた映像はその“ダウンシーンだけ”。
本来なら、もっと全体の流れや金原の試合巧者ぶりが伝わるはずなのに、
どう見ても「KIDの商品価値を落とさないように」って意図が透けて見える編集でした。
いや、ファンとしては「また金原らしいな(笑)」って笑えましたけど、
本人としてはたまったもんじゃなかったでしょうね。
UFCでの挫折、DEEPでの粘り、そしてRIZINでの奇跡の4連勝
その後UFCに挑戦するも結果が出ず。
当時、RIZINやONEもなかった時代。彼は国内でひたすら泥臭く試合をこなし続けました。
RIZIN初戦でビクター・ヘンリーに敗北。
「もう厳しいか…」と誰もが思った中で、そこから驚異の4連勝。
そして、クレベル・コイケを完封という奇跡のような一戦。
あの試合は、「格闘技って理詰めで勝てるんだ」という希望を見せてくれた一戦でした。
鈴木千裕、YA-MAN、そして静かなマイク
クレベル戦の勝利から勢いに乗ってタイトルマッチへ。
鈴木千裕にKO負け。
そして今回、YA-MANにKO負け。
42歳という年齢と、積み重ねたダメージ。
これまで“報われず”とも戦い続けた金原が、静かにマイクで引退を告げた姿に、胸が締め付けられました。
最後に──ありがとう、“ZSTの金ちゃん”
金原正徳は決して派手な選手ではなかった。
マイクアピールとかも特になく、相手をあおるようなこともなかった。
でも、本物の格闘技を見せてくれた稀有な選手でした。
勝っても地味、勝っても扱われない。
それでも腐らず、黙々と戦い続けた。
そんな金原の背中に、何度も勇気をもらいました。
ベルトを巻く姿を見たかった気持ちは、もちろんあります。
でも、それがすべてじゃない。
“あのクレベルを完封した男”として、ファンの記憶にはずっと残ります。
金原選手、本当にお疲れさまでした。
そして、ありがとう。
今日のところは、以上!
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