こんにちは、mutoです。
最近、「水筒 事故」というワードをニュースで見かけました。

小学生が斜め掛けの水筒で内臓を損傷
本当に痛ましい出来事です。
被害者の方を思うと、胸が締め付けられます。
……でも、それとは別に感じてしまうのが、
**「また来たか、この流れ…」**という社会の反応へのモヤモヤです。
水筒禁止? それ、また“見たことあるパターン”では…
今回の事故を受けて、「斜め掛けの水筒の注意喚起」「ランドセルに収納ルール」などが進んでいるとのこと。
もちろん、安全への配慮は大切です。
でも、それって**「水筒=悪」みたいな短絡的な対処**じゃないですか?
「小学生 水筒 危険」みたいなキーワードだけが先行して、
目的(=熱中症対策)がすっかり忘れられてるような気がしてなりません。
実は40年前にも、理不尽なクレームはありました
思い出すのが、僕が小学生低学年だったころ(つまり今から40年ほど前)の話です。
同級生の女の子が鉄棒から落ちて顎をケガしたことがありました。
その後、その子のお母さんが学校に怒鳴り込んできたんです。
「女の子の顔に傷がついた!どうして落ちるのを見てなかったの!?」
って、それはそれはすごい剣幕だったらしい。
でも、先生が「落ちろ」と言ったわけじゃないし、
たまたま打ちどころが悪かっただけの事故。
子ども心に僕はこう思いました。
「怖いおばちゃんっているんだなぁ…」
今、その“怖いおばちゃん”が社会全体になっていないか?
当時は「一部の親」だったものが、
今では教育現場や報道までもが“萎縮”に傾いているように見えます。
「水筒が危ないならやめよう」
「外遊びは危ないから制限しよう」
「運動会で熱中症?じゃあ体育祭中止」
……って、なんでも“とりあえず禁止”がデフォルトになっていくような気がして・・・・。
ゆとり教育で一度失敗してるはずなんですけどね?
ここで少し思い出してほしいのが、ゆとり教育の失敗です。
かつて日本は「ストレスや競争は子どもに良くない」として、
詰め込み教育をやめ、土曜授業もなくし、授業時間も削減しました。
結果どうなったか?
- 学力低下
- 社会への適応力不足
- 現場の指導力低下
そして結局、ゆとり教育は方向転換されました。
なのに、今回のような「事故が起きたから即ルールで縛る」的な発想を見ると、
ああ、日本はまだこの教訓から学べてないんだな…
と、正直ガッカリします。
それも、読売新聞のような“社会のど真ん中”に位置するメディアから出てくるとなおさらです。
ゼロリスクを突き詰めると、何も残らない
「1件の事故が起きたら即対応」
「クレームが来たら即ルール化」
この流れを突き詰めた先にあるのは、
**“何もしない社会”=“無”**です。
鉄棒もダメ、水筒もダメ、外遊びもダメ。
子どもたちは、どこで経験を積み、どこで失敗を学べばいいんでしょう?
とはいえ、親として抗議したくなることもあります(笑)
もちろん、僕だって親です。
子どもの骨が折れた、歯が欠けた――となれば、
「どうなってるんだ!」って言いたくもなるでしょう。
そこは否定しません(笑)
でもだからこそ、大人自身がバランスを取らなきゃいけないと思うんです。
「安全のために、すべてを禁止にしていいのか?」って。
まとめ:学んでいない社会で、誰が“学び”を守るのか
社会が失敗から学んでいないとしたら、
せめて僕たち個人個人が、“学び”の価値を守らなきゃいけない。
- ゆとり教育の反省
- クレーム社会の限界
- 報道の過剰反応
- 教育現場の萎縮
これらを「また同じこと繰り返してるよね」と感じた人は、
ぜひ声を上げてほしいと思います。
僕も、「水筒禁止」のニュースを見て、
「あの鉄棒の“おばちゃん”が社会全体になってきてるな」
と感じて、こうして書きました。
子どもたちには、少しくらいの危険とたっぷりの経験の中で、ちゃんと育ってほしい。
それだけなんです。
今日のところは、以上!
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